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とうとう還暦になってしまいました。この「どくとる紀北」が発行される頃には、ちょうど60歳になっていると思います。
同級生はほとんど退職ですが、幸運にもまだ仕事ができます。別に仕事が好きで言ってるわけではありません。
この時代年金がもらえるまで仕事があるだけでもありがたいことです。
その年金ですが、私の年金記録まだ殆ど見つかっていません。
殆ど公的な病院に務めていたにも関わらず、大学病院の一部と塩浜病院の一部しか見つかっていません。
一体どうなっているのでしょうね。
年金記録の抜けた分長生きして取り戻したい、というのが最近の私の目標です。
かといって特別な健康法をしているわけでもありません。
もともと病弱な上に、歳のせいでいろんな所にガタが来ています。
え!病弱?そんなばかな~って思うでしょ。ほんとなんです。
生まれた時仮死状態で、その上、お乳を吸うことができませんでした。母は4人目の子供でお乳が枯れてしまったと思っていました。
これは大学の講義でわかったのですが、実は舌小帯短縮症で、当時はミルクも無いので、コメのとぎ汁を飲んで育ったそうです。
そして栄養失調状態で、やっと歩き始めた1歳頃今度は疫痢になってしまいました。
疫痢といえば死に病。
校長先生のところに出来た初めての男の子、死なせてはならないと、地元矢の浜の人たちの夜ごもり、お百度参りのお陰で何とか死なずにすみました。
その時注射針が折れ、摘出するための5センチほどの傷が2ヶ所、今でも太ももに残っています。
幼少時は小児喘息やら何やらで、保育園の通園記録を見ると1年のうち半年ほどが病欠になっています。
クシャミをすれば服を着せられ、汗をかいてクシャミをすればもう一枚、だるまさんのようになっていた記憶があります。
ところが、いつのまにか病欠も少なくなり、高校の健康診断で心臓に穴が開いているとか、若年性高血圧(180mmHg)とか言われましたが、社会人になってからは一度も病欠がありません。
高血圧も結婚後数年でよくなりました。
やっぱり病弱じゃないのかな。
でも病弱だと言い続けたい。
私の妻の父は病弱で、成人まで生きることができないだろうと言われていたそうです。
病弱ゆえに、人一倍健康に気をつけ、90歳の天寿をまっとうしました。
私も人一倍とはいかなくても、人並みに健康に気をつけて、病弱だと言い続けて人一倍年金をもらいたいものです。
私の仕事は手術がメインです。
手術が思いどうりにできなくなる前に引き際を考えなくてはなりません。
年金をもらえる頃が引き際かなと思うこの頃です。
最近病弱克服のためにしている事
1,タバコはやめた
2,夜食はやめた
3,腰が悪くてもゴルフはする
4,ストレス発散のためにゲームをやりまくる
さあ、あなたも病弱になって、病弱を克服してください。
2008年12月記
新生児仮死
母体に原因がある場合、赤ちゃんに原因、胎盤に原因、臍帯に原因がある場合などありますが、私の場合は臍帯が首にぐるぐる巻になっていたそうで、鳴き声が聞こえるまで5分以上かかったとのことです。
虚血による障害は脳に最も現れやすく、仮死でなければ、ノーベル賞を貰えたかもしれないと残念です。
舌小帯短縮症
舌の裏側にある舌小帯が短いために舌の動きが悪く母乳がうまく吸えません。私の場合は舌は上に曲がらないので乳首を包むことができません。
治療は舌小帯を切ると教わりましたが、最近はあまりしないようです。今はミルクがありますしね。
疫痢
疫痢は細菌性赤痢の重症型で、とくに3歳前後の幼児を襲う。高熱・激しい下痢などの典型症状に加え、けいれん・血圧低下・顔面蒼白・意識障害を起こし、短時間で死亡することが多い。
わが国の赤痢患者数は、戦後しばらくは10万人を超え、2万人近くもの死者をみたが、1965 年半ば頃から激減し、1974 年には2,000人を割り、以降1,000人前後で推移しています。
疫痢の発生は1964年以降にはほとんどありません。
NHKの朝ドラ「花子とアン」で息子の歩の命を奪ったのも疫痢です
小児喘息
アレルギーや、そのほかの刺激によって、気管支の粘膜がはれ、粘膜からの分泌物(痰)も増すために気管支が狭くなり、呼吸が苦しくなる病気です。
小児喘息は成長とともに軽快する場合が殆どである。
私には喘息の記憶はありません。かなり早い時期に治癒したのだと思います。
アレルギーはアトピーは中学まで、鼻炎は最近良くなっていますが、20年ほど前から寒冷蕁麻疹がひどくなっています。
心房中隔欠損症
右心房と左心房の間の壁である心房中隔が、発生途中で、完成しなかった疾患を言います。先天性心疾患の約7%にあたります
欠損孔が小さい時は手術が必要ありません。大学生の時胸部外科の先輩に相談しましたが、簡単な検査だけで元気だからこのままで良いと言われました。
本当に孔が開いているかどうかも不確かです。
若年性高血圧
父も母も200以上の高血圧だったので、若くてもこんなもんだろうと思っていたのだが、塩分の少ない料理に慣れると簡単に下がってしまいました。
やっぱり塩分が大事。
もう一つ持病があった
?症候群ていうんだったかな~。上を向くと倒れるんです。上を向いて歩こうって歌大好きなんだけど上を向いて歩けないんだ。
環椎〈第1頚椎)に少し異常があると上を向いた時に椎骨動脈を圧迫して気を失うんです。
ただでさえ環椎のところで椎骨動脈は屈曲しているので簡単に脳虚血を起こしてしまうんです。
中学生の頃柱時計のゼンマイを巻く時、目の前が銀色に輝き気がつけば倒れていることが何度もありました。
今はくらっとしたらすぐ顎を引くことで倒れないようになりました。
どんどん健康になる。
2年前から8kgほど痩せたら血液検査が全部正常になりました。
病弱返上
2015年3月記
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