2001年8月15日我々富士登山同好会は富士登山に成功した。
ここで、まず富士登山同好会について説明しておこう。
富士登山同好会はこの日のため、2001年2月18日私が呼びかけ、それに応じた同志7名にて結成された。
内訳は私と妻、4人の子供たちと1人の娘婿であるが、それに4月に孫が入会8人となった。
たった1人の富士登山経験者である長女と孫が後方支援部隊として山中湖のホテルに残り未経験者6人の部隊となった。
我々は富士山に登りたい!を参考に準備を整え、最後に河口湖駅で杖を買いそろえた。ちなみに駅で700円の杖が5合目では1000円になるそうです。
14日pm9:30に就寝、am2:30起床、3:00にホテルを出発、タクシーで河口湖の5合目へ。(須走から登る予定だったがタクシーの運ちゃんの助言であっさり変更)
そしてついに出発!15日am4:00。
闇の中をヘッドランプの明かりを頼りに歩き、5時前に6合目と7合目の間にて御来光を迎える。御来光を見ながらホテルで作ってもらったにぎりめしにて朝食。
8合目過ぎから異変。妻が眠気、吐き気、頭痛と高山病の症状。子供たちを先に行かせ、酸素を吸いながら牛歩戦術、一歩進んでは休み、二歩進んでは休み、やっと山頂に到着am10:30。
持参のパンなどを食べて小休止後お鉢巡りに。これが意外としんどい。山頂の郵便局でハガキを出した後の測候所への坂道、メチャメチャ急だがこれを登って日本一高い地点に到達。
下山は須走へ。下山開始pm1:00。砂地をずるずる滑りながら下る。だんだんスピードが出るので踏ん張る。最初はいいのだが長い長い下りで、そのうち膝がガクガクしてくる。特に7合目から5合目までが長い。
やっと須走に着いた時にはもう動く気力なし。pm4:00、ちょうど12時間の長い行程であった。
ホテルに戻って気がついたのだが、みんな顔と右手の甲が真っ赤だ。日焼け対策を全くしてなかった。
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