院長の部屋

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熊野古道を歩こう

玉置神社

2015・10・11

 

今日はどんより曇り、時々小雨。妻は新宮祭りでフラ。妻のフラを少し見て、新宮へ来たついでに、我が先祖の玉置神社へ行くことにしました。

 

我が先祖かどうかはわからないけれど、父の話によると、玉置家は平重盛の命により、熊野地方の港の管理に使わされたとのこと。玉置神社と平重盛も関係が深いことから、あながち嘘でもないだろう。ということで、前から一度は行ってみたいと思っていました。

 

ここで玉置神社の解説。

 

玉置神社は元々、神武天皇の東征のとき、荒坂の津〈二木島〉から上陸して北上するとき、八咫烏(ヤタガラス)に先導された神武天皇が、現在の玉置山で兵を休め、”十種の神宝[とぐさのかんだから]”のうちの「玉」をここにおさめて(玉を置いて)大和の国の礎にしようとしたところから始まると言われます。玉置山、玉置神社の名の由来はここにあります。神社は総けやき材で作られていて、社務所・台所は、重要文化財になっています。ふすま絵は、杉の一枚戸で狩野派の華麗な絵が描かれています。

 

紀元前374年、第10代崇神天皇によって創建され、平成15年には御鎮座[おんちんざ]2050年祭を迎えた風格と格式を有する神社です。御祭神[ごさいしん]は宇宙からの大きなエネルギーとパワーで初めて大地を誕生させた神で、日本書紀の最初に記されている「国常立尊[くにとこたちのみこと]」です。主に崇められているのは、国常立尊・伊弊諾尊[いざなぎのみこと]・伊弊冊尊[いざなみのみこと]・天照大神[あまてらすおおみかみ]・神日本磐余彦尊[かむやまといわれひこのみこと]です

 

[いざなぎのみこと]・[いざなみのみこと]は天照大神[あまてらすおおみかみ]を作った方です。ということは伊勢神宮よりすごいかも。

 

7世紀後半、役の行者が大峰山を開いて修験道の本拠地となります。玉置山は、大峰入峰修験の拠点として栄え、天安2年(858年)天台宗智証大師が、那智の滝にこもり後当山にて修行し仏を祭られました。これより以後玉置神社は神仏混淆となりました。、弘法大師もこの地で修行されています。神仏習合時代には、境内に別当寺の高牟婁院をはじめ7坊15ヶ寺があり、「熊野三山の奥の院」として知られ、 修験道場として栄えたそうです。

     

新宮から玉置神社の駐車場まで車で約1時間40分。玉置神社へ行く山道ではすれ違った車は6台。それでも駐車場には30台ほどの車があり、土産物屋もあった。土産物屋ではミカンが20個ほどで500円で売っていた。全然山岳料金じゃない!これだけで十津川の人がいかに良心的かわかる。さすが昔から苗字帯刀を許されていただけのことはある。

 

駐車場からは晴れた日は見晴らしがいいらしいが、今日は曇って、近くの山もぼんやりしか見えない。

 

参道を10分ほど歩いて本殿へ。本殿の裏に夫婦杉と樹齢3000年という神代杉。さすがにでかい。

 

本殿から少し歩くと赤い鳥居が。お稲荷さんだ。倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 天御柱神(あめのみはしらのかみ)  国御柱神 (くにのみはしらのかみ)が祀られているとのこと。農地のない十津川にお稲荷さんは縁がなさそうだけど、昔は仏さんも祀っていたのだから、玉置は心が広いんだなと、納得。

 

摂社・三柱神社の横を通り抜けると山頂への道がある。山頂まで約15分。山頂は1076m。三角点の横に沖見地蔵尊。調べてみると沖見地蔵尊というのは水難にあった人のための地蔵らしい。何故こんなところに?もっと調べてみると玉置山は熊野灘が見えることから別名沖見岳と呼ばれているとのこと。今日は曇って何も見えなかったので想像もしなかった。

 

頂上には石楠花の群生林があり、そこを抜けると心地よい遊歩道が駐車場まで続いていました。

 

帰りは北山から七色を通り1時間50分位で帰宅。

 

後で地図を見ると玉置神社の南南東数km先に玉置神社鳥居がある。車の通れるような道はなさそうだし、昔はここから玉置神社まで歩いて参拝したのだろうか。一度玉置口から玉置神社鳥居を通り玉置神社へ歩いて行ってみたくなった。玉置神社鳥居についてはネット検索しても今のところわかりません。誰か知っていたら教えて下さい。

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